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書いた記事数:36 最後に更新した日:2019/10/16

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虹水ブログ

カミ(祖霊)からの恩寵(おんちょう)

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    己の目で確認できることを信じるのは容易ですが、見えざるものを信じるのは大変難しいことである、というお話です。

    沖縄に暮らすAさんには兄弟、姉妹がおり、病床に伏しているお父様がいらっしゃいました。
    兄弟も皆了承し、当人(Aさん)も納得したうえでこの家の祖先の祭祀はAさんが執り行ってきたのですが、お父様がお亡くなりになったのを契機に祖先の位牌も継承することになりました。


    沖縄の慣習からすると、Aさんが祖先の位牌を継承することはタブーとされ、継承者として最適任者とはいえないのですが、今までAさんが祭祀を執り行ってきた経緯を踏まえ、全員の合意のもとでAさんが継承することになったのでした。
    当然、それまでのことを考慮して財産の相続もAさんということで暗黙のうちに了解済みと思われていたのですが、
    相続が現実のこととなると、事はそう簡単にはいきません。
    思いもよらない異論が出てきたのです。関係者のうちひとりでも異論があれば、事はスムーズに運びません。


    お父様が生前、Aさんのお兄さんの立ち合いのもとで自筆の遺言証書を作成していたのをAさんはすっかり失念していたのでした。遺言証書がない限り、ひとりの異論でも無視することはできないのです。

    そんな折、Aさんは亡きお婆さんの25年忌の法要(9月15日)を営むことになりました。日頃の忙しさにかまけて、未整理のままのボストンバックを取り出し、中身の点検をしているときに父の手書きの遺言証書が出てきたのです。
    お婆さんの25年忌法要がなければ遺言証書はボストンバックの中にしまい込んだままになっていたのでした。
    祖霊にむかって手を合わせる度に、その加護に感謝し、冥福を祈ってきたつもりでしたが、このような形で祖霊の恩寵に浴するとは……
    祖霊を前にして、グチめいたことも口にしたことが悔やまれましたが、信心の世界はまことに奥が深い事を思い知ったAさんでした。
    「信心は徳の余り」であってはいけないと、しみじみと心に刻み込まれる事例です。
     

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