縁(えにし) 2016年 元旦 丙申
私たちは、日常生活を送るなかで、いろいろな場所でさまざまな人たちと不思議な縁で結ばれています。
もっぱら、金銭の利害だけで結ばれた縁というものは「金の切れめが縁の切れめ」になってしまいます。
男女関係の不可思議な縁というものは「縁は異なもの」といわれるようにはたから見ているだけでは理解し難いものです。
人の意見に耳を貸さず、我を通すことに固執する人は「縁なき衆生は度がたし」とあるように、なかなか救いの手が差しのべられません。
相性の良し悪しというのも不思議な縁のなせるわざであり、たとえよくない結果になったとしても、そこは「合い縁奇縁」ということで、うまく処理するのが大人の知恵といえます。
こうした縁で結ばれた相手に対しては寛大でなければいけません。自分に不利益をもたらしたとしても、もっぱら相手だけを責めるのではなく、裡なる自分に目をむけて、一度立ち止まって考えてみることのたいせつさをかみしめましょう。それがよけいなカルマ(業=ゴウ)をしょい込むのを避ける最良の方法です。
「袖振り合うも他生の縁」ということわざにある通り、ひょんなことで結ばれた縁というものは、前世の因縁によるものだという一面もあるのです。
皆様がよき縁で結ばれますよう、祈っています。
もっぱら、金銭の利害だけで結ばれた縁というものは「金の切れめが縁の切れめ」になってしまいます。
男女関係の不可思議な縁というものは「縁は異なもの」といわれるようにはたから見ているだけでは理解し難いものです。
人の意見に耳を貸さず、我を通すことに固執する人は「縁なき衆生は度がたし」とあるように、なかなか救いの手が差しのべられません。
相性の良し悪しというのも不思議な縁のなせるわざであり、たとえよくない結果になったとしても、そこは「合い縁奇縁」ということで、うまく処理するのが大人の知恵といえます。
こうした縁で結ばれた相手に対しては寛大でなければいけません。自分に不利益をもたらしたとしても、もっぱら相手だけを責めるのではなく、裡なる自分に目をむけて、一度立ち止まって考えてみることのたいせつさをかみしめましょう。それがよけいなカルマ(業=ゴウ)をしょい込むのを避ける最良の方法です。
「袖振り合うも他生の縁」ということわざにある通り、ひょんなことで結ばれた縁というものは、前世の因縁によるものだという一面もあるのです。
皆様がよき縁で結ばれますよう、祈っています。
- 2016.01.01 Friday
- 日々雑感
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- by 虹水