calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< September 2019 >>

selected entries

categories

archives

profile

書いた記事数:35 最後に更新した日:2019/06/22

search this site.

others

mobile

qrcode

虹水ブログ

物思いに耽る夜長月

0

    九月は夜長月(よながつき)ともよばれ、夏の暑さがひと段落し、少しずつ夜が長くなってくる時期でもあります。

    台風もようやく去って静かな夜が訪れるようになると、ひとり物思いに耽ることも多くなります。

     

    この九月は、私にとって大きな人生の節目ともなりました。
    今年に入り、私生活の面でも、体調を崩すなど様々な出来事がありました。
    それらが、私の誕生月である今月、ようやく落ち着き、新たなステップを踏み出す準備が整ったと感じています。

     

    時を無駄にせず、日々身魂を磨き精進し、霊層界を高め常に誠と感謝を忘れず、謙虚な気持ちで自分の人生を丁寧に生きていきたい。そうあらためて感じた夜長月でした。


    巡り来る2月

    0

      2月尽」(にがつじん)ということばがあります。

      文字通り、2月が終わる事を意味するのですが、12ヵ月のうちでもっとも短い月であると同時に、日いちにちと春らしくなってゆくころなので、またたく間に月日がすぎるような思いにかられる月ともいえます。

      それ故に「2月はにげてしまう」とも形容されるのでしょうか。

       

      そんな2月ですが、私は毎年巡りくる2月を特別な思いを抱いて迎えます。

      人間的な深い絆で結ばれ、敬愛の情を抱き続けた3人の男性がいます。

       

      何とも不思議なことですが、3人とも2月が誕生月なのです。それだから、2月という月は私にとって「運命的な月」なのです。

      3人のうち、2人はすでに他界し、はるか浄土から私を守護してくれていると信じています。

       

      疾風(しっぷう)に勁草(けいそう)を知る」といいます。まさにその通りで、困難にあったときこそ、今なお敬愛の情を抱きつづける3人の男性の意志の強さ、ゆるぎない信念を感じることができるのです。

      そのことが、今の私を支える大きな力となっています。

       

      人間の不思議な縁については、本年(2016年)の元旦のブログでもお話しました。あわせてお読みいただけると嬉しい限りです。


      神さまの粋なはからい

      0
        積年の心身の疲れか、気づかぬままの不摂生のツケが回ってきたのか、今年に入り体調が思わしくない。
        医者の見立ては「肝機能の低下」が原因だとのこと。

        もともと頑丈な身体で健康体にもかかわらず、サプリメントの服用のし過ぎ、甘いものと脂肪分の摂り過ぎという指摘を受けました。
        ご指摘はご無理ごもっともで当方に思い当たるフシが多々あり、反省することしきりです。

        六十路も半ばを過ぎ、心穏やかに冷静にこれからの来し方に思いを馳せる絶好の機会だと、内心安堵しております。 このような時間をいただいたことは「神さまの粋なはからい」だと独り合点するしだい。

        夫に先立たれたとはいえ、二人の息子と娘、それに孫にも恵まれ、肉親の情愛の機微に触れる日々も人並みに経験しており、感謝に堪えません。
        また、時として亡き夫の霊に守護されていることを実感することもあり、魂のつながりの不思議に驚嘆することもあります。

        早朝のラジオ体操に参加以来、体調も徐々にもどりつつあり、新たな霊気に充たされているような気がします。 日々の暮らし方を戒め、すべてに感謝する心を忘れずに、さらなる高みをめざすための精進を怠らぬよう心してゆくつもりです。 すべてに感謝!

        縁(えにし) 2016年 元旦 丙申

        0
          私たちは、日常生活を送るなかで、いろいろな場所でさまざまな人たちと不思議な縁で結ばれています。
          もっぱら、金銭の利害だけで結ばれた縁というものは「金の切れめが縁の切れめ」になってしまいます。

          男女関係の不可思議な縁というものは「縁は異なもの」といわれるようにはたから見ているだけでは理解し難いものです。
          人の意見に耳を貸さず、我を通すことに固執する人は「縁なき衆生は度がたし」とあるように、なかなか救いの手が差しのべられません。

          相性の良し悪しというのも不思議な縁のなせるわざであり、たとえよくない結果になったとしても、そこは「合い縁奇縁」ということで、うまく処理するのが大人の知恵といえます。

          こうした縁で結ばれた相手に対しては寛大でなければいけません。自分に不利益をもたらしたとしても、もっぱら相手だけを責めるのではなく、裡なる自分に目をむけて、一度立ち止まって考えてみることのたいせつさをかみしめましょう。それがよけいなカルマ(業=ゴウ)をしょい込むのを避ける最良の方法です。

          袖振り合うも他生の縁」ということわざにある通り、ひょんなことで結ばれた縁というものは、前世の因縁によるものだという一面もあるのです。
          皆様がよき縁で結ばれますよう、祈っています。

          水に流すものと石に刻むもの

          0
            「人に歴史あり」という言い古された言葉があります。
            私のような年齢になると、そのことが実感として受け止めることができるのです。
            その人の歩んできた道程(みちのり)が顔の相となってあらわれてくることは、このブログでも再三お話して参りました。

            心にわだかまりを持ち、怨念に支配された人の顔相はみにくく、相手に不快感を与えます。恨みつらみほど顔の相をゆがめ、わだかまりを深くするものはありません。
            逆に謙虚さと素直さを持ち、心を清浄にする人の顔相は、おだやかで相手に心地よさを与えてくれます。謙虚で素直であることは向上心を高めるための必要不可欠な条件です。
            向上心は顔の相にあらわれ、顔相をよくすることは言うまでもないことです。

            与えた恩を思わずに心に留めおくことは、いつか報恩を期待し、それが裏切られたときには恨みとなって刻まれます。
            受けた恩を忘れてしまうと、いつの日か誠実さを欠いた行為として相手の反感を買ってしまいます。

            「受けた恩は石に刻み、与えた恩は水に流す」

            心のわだかまりを棄て、常に清浄な心を保つ秘訣とも言える言葉です。
            私の「座右の銘」として我欲にとらわれがちな心を戒めております。