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書いた記事数:36 最後に更新した日:2019/10/16

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虹水ブログ

水に流すものと石に刻むもの

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    「人に歴史あり」という言い古された言葉があります。
    私のような年齢になると、そのことが実感として受け止めることができるのです。
    その人の歩んできた道程(みちのり)が顔の相となってあらわれてくることは、このブログでも再三お話して参りました。

    心にわだかまりを持ち、怨念に支配された人の顔相はみにくく、相手に不快感を与えます。恨みつらみほど顔の相をゆがめ、わだかまりを深くするものはありません。
    逆に謙虚さと素直さを持ち、心を清浄にする人の顔相は、おだやかで相手に心地よさを与えてくれます。謙虚で素直であることは向上心を高めるための必要不可欠な条件です。
    向上心は顔の相にあらわれ、顔相をよくすることは言うまでもないことです。

    与えた恩を思わずに心に留めおくことは、いつか報恩を期待し、それが裏切られたときには恨みとなって刻まれます。
    受けた恩を忘れてしまうと、いつの日か誠実さを欠いた行為として相手の反感を買ってしまいます。

    「受けた恩は石に刻み、与えた恩は水に流す」

    心のわだかまりを棄て、常に清浄な心を保つ秘訣とも言える言葉です。
    私の「座右の銘」として我欲にとらわれがちな心を戒めております。

    不思議な縁ー8月

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      額縁の中の住人になってしまった愛する人にむかって一日一日の出来事を語る日々を送って、はや一年が経ちます。
      思い返すと、8月は私にとって不思議な縁で結ばれた月です。
      夫と死別したのも、その後人生の苦楽を分かち合った人も甥も、暑い盛りの中で最期のときを迎えました。
      合縁奇縁ということばがありますが、それぞれに不思議な縁によって結ばれた人たちです。

      思い出が残された者の心の中から消え去ったときに、人は完全な死を迎えるという人もいます。私の心の中から過ごした日々や語り合ったことやともに流した涙の記憶が薄れることはありません。私の心の中では彼らは生きているのです。
      亡くなった人の霊を偲びなぐさめ、供養するということは、そのよすがを取り戻し、縁を改めて確認することにつながるのでしょう。

      命日はその人の死を呼び起こす日ではなく、愛する者との縁を改めて確認する日でもあるといえます。
      雑事に流されて、多忙にかまけて記憶は徐々に薄れてしまいますが、私の8月は、忘れたくても忘れられない月なのです。

      My Sister

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        5月中旬に父の一周忌がありました。
        アメリカに住んでいる妹が帰沖、実家の用事も兼ねて一ヶ月間私の家で滞在することに。

        久しぶりに会う妹のために、私は毎日早起きしてご飯の準備。
        懐かしい沖縄料理を食べたがる妹に、ゴーヤーチャンプルー、ナーベーラー(ヘチマ)、ソ−キ汁、アシティビチ、中身のおつゆと、自分の仕事よりも労力をかけて(笑)作りました。
        「姉さん、故里はいつ来てもいいね」と喜ぶ妹に、私は体力の限界を感じながらも精一杯のおもてなしをします。
        夜は12時近くまで起きてユンタク。
        幼い頃を過ごした、ヤンバルでの子ども時代の出来事を夢中になって語り合ううちに、すっかり時間が経ってしまうのでした。

        彼女はアメリカ生活40年。大学院まで出て、今も現役バリバリで仕事をこなす才女です。
        私は8人兄弟の5番目に生まれた長女ですが、小さい頃勉強を教えてくれたのは1歳年下の彼女でした。
        そんな妹の滞在期間も終わりを告げ、帰り際に言われたことは、
        「健康でお互い長生きしましょうね。それと姉さん、もっともっと勉強した方がいいよ。」
        とのこと。そして現状のアメリカについて色々と話してくれました。

        大変嬉しかった反面、勉強不足の自分が恥ずかしく、反省せざるを得ませんでした。
        大きくなって年を取っても、遠く離れていても彼女は彼女のままでした。

        家族の絆、兄弟姉妹の絆は深いですね!
        親に感謝しつつ、また会える日を楽しみにしています。
        彼女が健康で幸せでいられることを、姉として心より願っています。

        人智を超えた神智

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          まず、朝9時頃に友人から電話があり、兄貴が亡くなった、とのこと。
          10日前に先生にしてもらった占いが的中した、その通りだったよ、と。

          実は10日前、友人を占ったところでした。
          この友人の周りの人で姑、夫、実兄、この三人の運気が同じようなものを示している。
          「誰が先になってもおかしくないけど、あなたの実兄が近々この世を去る事になるね…」
          と伝えた矢先でした。

          その電話があってから約1時間後、これまた友人の一人でユタ的な女性がいるのですが、何となく気になり電話。
          すると、10日前に別れた夫が亡くなったとのこと。

          「続くなぁ…」と思いながら昼の1時頃にプラザハウスの店へ出向くと、2時頃にお客様から電話。
          これからお伺いしたい、とのことなので3時に来店していただきました。
          相談内容は夫が亡くなったので、墓を建立したいが契約日をいつにしたら良いか、と。
          その時点で、「あ、これはこういう日なんだな」と気付きました。

          しばらくして、このお客様と話している最中に友人が顔を覗かせ、「何時に終わる?」と聞いてきました。
          何の用か聞いたところ、これまた「妹の夫が亡くなったんで、49日の件で伺ったのよ」とのこと。
          時間が時間だったので、明日にしてちょうだい、と次の日にしてもらいました。

          その後夕方6時頃に帰宅。
          なんだかぐったり疲れていたので、すぐ横になりました。
          目覚めると夜の9時。
          なんだか急にやんばるの易学の生徒に連絡したくなり、「元気ねぇ?」と電話したところ、
          「先生、うちの姉が10日前に亡くなったんですよ」とのこと。
          「今日は朝からあなたで数えて5人目よ!こういう話をするの」とびっくり。

          この日は目に見えないものの力が大きく働いていたのでしょう。
          人智を超えた神智とでもいうべきものの存在を思い知らされた一日でした。

          人生はすてたものではない

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            去年は、わたくしにとって易学でいう「別離の年」を実感する年になってしまいました。

            老いてもなお、かくしゃくとして、わたくしを叱咤激励してくれた父の死。
            深い絆で結ばれ、互いに慈しみ支え合った愛する人の死。
            肉親の情愛にあふれ、わたくしを慕ってくれた甥の死。
            それぞれが静かに旅立ち、わたくしのもとを去ってしまいました。

            生きとし生けるものの宿命、この世の習いとはいえ、悲しみは深く堪え難いものがあります。
            それでも、遺された者は懸命に生きなければなりません。何と残酷なことでしょう。

            それぞれの遺影に合掌するとき、冥土での幸福を祈りながらも、生前の心ない仕打ちがつぎつぎと思い出され、後悔の涙が止まりません。
            詮無いこととは知りながらも、「ああしてあげれば良かった」、「あの言葉を取り消したい」と心から願うのです。
            カジマヤーユーエーに、自力でひな壇に上った父の確かな足取りがよみがえります。

            わたくしの取り留めのない話に、時には笑い、時にはうなずきながら飽きもせず聞き入ってくれた愛する人の表情の一つひとつがコマ送りのようにあらわれては消えていきます。

            予感にふるえながら異郷で暮らす甥の死を報せる受話器を取った手の感触が忘れられません。
            誰もが、それぞれの悲しみや苦しみを胸にかかえこんだまま生きています。その悲しみや苦しみをいやす手立てを手に入れるためにもがきます。
            それでも「人生はすてたものではない」という瞬間が必ずおとずれるはずです。
            わたくしは、それを信じて多忙な一日の終わりに遺影の前で合掌し、語りかけているのです。

            心から慈しみ、愛することができたことへの感謝の祈りを込めて。