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書いた記事数:39 最後に更新した日:2020/06/03

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虹水ブログ

カミ(祖霊)からの恩寵(おんちょう)

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    己の目で確認できることを信じるのは容易ですが、見えざるものを信じるのは大変難しいことである、というお話です。

    沖縄に暮らすAさんには兄弟、姉妹がおり、病床に伏しているお父様がいらっしゃいました。
    兄弟も皆了承し、当人(Aさん)も納得したうえでこの家の祖先の祭祀はAさんが執り行ってきたのですが、お父様がお亡くなりになったのを契機に祖先の位牌も継承することになりました。


    沖縄の慣習からすると、Aさんが祖先の位牌を継承することはタブーとされ、継承者として最適任者とはいえないのですが、今までAさんが祭祀を執り行ってきた経緯を踏まえ、全員の合意のもとでAさんが継承することになったのでした。
    当然、それまでのことを考慮して財産の相続もAさんということで暗黙のうちに了解済みと思われていたのですが、
    相続が現実のこととなると、事はそう簡単にはいきません。
    思いもよらない異論が出てきたのです。関係者のうちひとりでも異論があれば、事はスムーズに運びません。


    お父様が生前、Aさんのお兄さんの立ち合いのもとで自筆の遺言証書を作成していたのをAさんはすっかり失念していたのでした。遺言証書がない限り、ひとりの異論でも無視することはできないのです。

    そんな折、Aさんは亡きお婆さんの25年忌の法要(9月15日)を営むことになりました。日頃の忙しさにかまけて、未整理のままのボストンバックを取り出し、中身の点検をしているときに父の手書きの遺言証書が出てきたのです。
    お婆さんの25年忌法要がなければ遺言証書はボストンバックの中にしまい込んだままになっていたのでした。
    祖霊にむかって手を合わせる度に、その加護に感謝し、冥福を祈ってきたつもりでしたが、このような形で祖霊の恩寵に浴するとは……
    祖霊を前にして、グチめいたことも口にしたことが悔やまれましたが、信心の世界はまことに奥が深い事を思い知ったAさんでした。
    「信心は徳の余り」であってはいけないと、しみじみと心に刻み込まれる事例です。
     

    水に流すものと石に刻むもの

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      「人に歴史あり」という言い古された言葉があります。
      私のような年齢になると、そのことが実感として受け止めることができるのです。
      その人の歩んできた道程(みちのり)が顔の相となってあらわれてくることは、このブログでも再三お話して参りました。

      心にわだかまりを持ち、怨念に支配された人の顔相はみにくく、相手に不快感を与えます。恨みつらみほど顔の相をゆがめ、わだかまりを深くするものはありません。
      逆に謙虚さと素直さを持ち、心を清浄にする人の顔相は、おだやかで相手に心地よさを与えてくれます。謙虚で素直であることは向上心を高めるための必要不可欠な条件です。
      向上心は顔の相にあらわれ、顔相をよくすることは言うまでもないことです。

      与えた恩を思わずに心に留めおくことは、いつか報恩を期待し、それが裏切られたときには恨みとなって刻まれます。
      受けた恩を忘れてしまうと、いつの日か誠実さを欠いた行為として相手の反感を買ってしまいます。

      「受けた恩は石に刻み、与えた恩は水に流す」

      心のわだかまりを棄て、常に清浄な心を保つ秘訣とも言える言葉です。
      私の「座右の銘」として我欲にとらわれがちな心を戒めております。

      不思議な縁ー8月

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        額縁の中の住人になってしまった愛する人にむかって一日一日の出来事を語る日々を送って、はや一年が経ちます。
        思い返すと、8月は私にとって不思議な縁で結ばれた月です。
        夫と死別したのも、その後人生の苦楽を分かち合った人も甥も、暑い盛りの中で最期のときを迎えました。
        合縁奇縁ということばがありますが、それぞれに不思議な縁によって結ばれた人たちです。

        思い出が残された者の心の中から消え去ったときに、人は完全な死を迎えるという人もいます。私の心の中から過ごした日々や語り合ったことやともに流した涙の記憶が薄れることはありません。私の心の中では彼らは生きているのです。
        亡くなった人の霊を偲びなぐさめ、供養するということは、そのよすがを取り戻し、縁を改めて確認することにつながるのでしょう。

        命日はその人の死を呼び起こす日ではなく、愛する者との縁を改めて確認する日でもあるといえます。
        雑事に流されて、多忙にかまけて記憶は徐々に薄れてしまいますが、私の8月は、忘れたくても忘れられない月なのです。

        顔相は生きざまの証(あかし)

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          30代とおぼしき男女が訪ねてきました。
          一見したところ、ごく普通のカップルで特別変わったところはありません。
          ところがよく見ると、顔相に女性の生きざまが隠しようもなくあらわれているのです。

          幾度となく同じようなパターンを見てきてピンと来たものがあったので、私は何の迷いもなく「夜の商売をなさっていますね」と単刀直入に訊きました。
          「名は体を表す」とはよく聞きますが、「顔相は生きざまを表す」のです。化粧などでごまかせるものではありません。

          結果、やはりその通りで、この方はひたすらお金を貯めるために夜の仕事に無理を重ねているというお話でした。
          化粧映えした顔は若々しく、見方によっては美人といえるかもしれませんが、顔相には精神的・肉体的な疲労と、お金に対する執着がにじみ出ていました。

          職業に貴賎はありません。水商売といっても、そこで働く方には様々な事情があるでしょう。
          また、目的があってお金を貯めるという事も決して悪い事ではありませんが、この方の場合は金銭に対する執着がどんどん大きくなってしまい、結果として顔相を卑しめてしまっていたのです。

          このままでいくとお金を貯めるという目的は達成できるかも知れませんが、肉体的な衰えとともに心が壊れてしまう事が容易に想像できます。心の持ち方・行いを正さない限り決して幸せにはなれないと思います。

          自分の行為は顔相に刻み込まれてできます。顔相がその人の生きざまの証だとされるのも、こうした理由からです。
          日頃の行いを正していくことの大切さをかみしめる良い機会ともなった経験でした。

          My Sister

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            5月中旬に父の一周忌がありました。
            アメリカに住んでいる妹が帰沖、実家の用事も兼ねて一ヶ月間私の家で滞在することに。

            久しぶりに会う妹のために、私は毎日早起きしてご飯の準備。
            懐かしい沖縄料理を食べたがる妹に、ゴーヤーチャンプルー、ナーベーラー(ヘチマ)、ソ−キ汁、アシティビチ、中身のおつゆと、自分の仕事よりも労力をかけて(笑)作りました。
            「姉さん、故里はいつ来てもいいね」と喜ぶ妹に、私は体力の限界を感じながらも精一杯のおもてなしをします。
            夜は12時近くまで起きてユンタク。
            幼い頃を過ごした、ヤンバルでの子ども時代の出来事を夢中になって語り合ううちに、すっかり時間が経ってしまうのでした。

            彼女はアメリカ生活40年。大学院まで出て、今も現役バリバリで仕事をこなす才女です。
            私は8人兄弟の5番目に生まれた長女ですが、小さい頃勉強を教えてくれたのは1歳年下の彼女でした。
            そんな妹の滞在期間も終わりを告げ、帰り際に言われたことは、
            「健康でお互い長生きしましょうね。それと姉さん、もっともっと勉強した方がいいよ。」
            とのこと。そして現状のアメリカについて色々と話してくれました。

            大変嬉しかった反面、勉強不足の自分が恥ずかしく、反省せざるを得ませんでした。
            大きくなって年を取っても、遠く離れていても彼女は彼女のままでした。

            家族の絆、兄弟姉妹の絆は深いですね!
            親に感謝しつつ、また会える日を楽しみにしています。
            彼女が健康で幸せでいられることを、姉として心より願っています。